特許調査の負荷を80%削減:LLMとベクトル検索による「請求項スコアリング」
特許調査の負荷を80%削減:LLMとベクトル検索による「請求項スコアリング」
新規事業や技術開発において、特許調査は不可欠です。しかし、先行技術文献の洪水から、自社技術との関連性が高い「請求項(クレーム)」を一つひとつ目視で読み込み、評価する作業は、知財部門にとって最も重い負荷となっています。この非効率なプロセスが、市場投入の遅れや、見落としによる深刻な訴訟リスクにつながるケースも少なくありません。
本記事では、この特許調査の負荷を劇的に軽減する、大規模言語モデル(LLM)とベクトル検索技術(RAG)を組み合わせた「クレーム類似性スコアリング」の具体的な構築方法を解説します。DifyのようなLLMプラットフォームを活用することで、特許の法的・技術的な側面を考慮した精度の高いスコアリングを実現し、知財業務を戦略的なコア業務へと進化させるための道筋を示します。
1. LLMによる「クレーム類似性スコアリング」が実現する効率化
特許の「請求項(クレーム)」は、特許権の保護範囲を定める最も重要な部分であり、その類似性評価は専門的な知見と多大な時間を要します。AIによるクレーム類似性スコアリングは、この評価プロセスを自動化・高速化し、知財担当者の負荷を大幅に削減します。従来の特許調査では、キーワード検索で抽出された大量の文献を、担当者が目視でスクリーニングする必要がありましたが、AI導入によって、この作業時間の大幅な削減が見込めます。
このスコアリングは、単なるキーワード一致ではなく、大規模言語モデル(LLM)の持つ高度な自然言語理解能力を活用します。具体的には、自社の技術内容と、先行特許の請求項が持つ「意味的な近似性」を数値化し、関連性の高い特許文献を高いスコアで上位に表示することが可能となります。これにより、知財担当者は、AIが選別した高関連性の数十件に集中できるようになり、調査精度も向上します。
従来の特許調査は、検索結果の約90%が不要な文献であるというデータもあり、AIによるスコアリングは、このノイズを削減し、専門家が真に注力すべき文献に絞り込むことを可能にします。
2. 特許調査の「負荷」が生まれるメカニズムと従来の課題
特に問題となるのは、特許の権利範囲を定義する請求項です。請求項は、技術的特徴を網羅的に記載するため、文章構造が複雑で、専門用語や先行技術との関係を示す独特な表現が多く含まれます。知財担当者は、これらの複雑な文章を読み解き、自社技術との技術的・法的な類似性を判断しなければなりません。この作業は、1件あたり数十分、数百件のリストアップがあれば数週間以上かかることも珍しくありません。結果として、調査の属人性が高まり、精度にムラが生じやすいという構造的な課題を抱えています。
- 従来の特許調査における課題
- キーワード検索によるノイズの多さ(約90%が不要文献)
- 複雑な請求項の目視スクリーニングによる時間的負荷
- 技術の「意味的な近似性」の判断が困難
- 担当者のスキルに依存する調査精度の属人化
3. 特許RAGシステムの中核:「請求項」のベクトル化と検索拡張生成の仕組み
クレーム類似性スコアリングを実現する技術基盤は、RAG(検索拡張生成:Retrieval-Augmented Generation)とベクトル検索です。まず、数百万件に及ぶ特許公報の請求項を、エンベディングモデルによって「ベクトル(数値の配列)」に変換し、ベクトルデータベース(Vector Store Index)に格納します。このベクトルは、文章の意味や文脈を数値的に表現したものです。
自社技術の概要や発明内容をインプットとして、エンベディングモデルでベクトルに変換します。
自社技術のベクトルと、データベース内の全請求項ベクトルとの数学的な距離(コサイン類似度など)を計算し、類似性の高い特許文献(例:上位500件)を抽出します。この検索は、キーワードの完全一致に依存せず、内容の近似性をもとに情報を見つけられるのが特徴です。
抽出された特許文献の請求項と、自社技術の内容をLLMに入力し、「技術的範囲の重複度」や「法的有効性」を評価させ、最終的な類似性スコア(例:0.00〜1.00)を生成します。
これにより、特許特有の専門的な文脈を理解した上で、高度な類似性評価が可能になります。
4. Difyで実現する類似性スコアリングの具体的な構築ステップ
DifyのようなLLM開発プラットフォームを利用すれば、上記のRAGシステムを比較的容易に構築できます。Difyでは、知識ベース(Knowledge Base)機能を用いて特許データを格納し、ワークフロー機能でスコアリングのロジックを実装します。
【構築における主要なステップ】
- データ準備(チャンキング): 特許公報のPDFやテキストデータから「請求項」のみを抽出し、ベクトル化に適したサイズ(例:1請求項ごと)に分割(チャンキング)します。メタデータ(特許番号、出願日など)も同時に保持します。
- エンベディングモデルの選択: 特許文書の専門的な文脈を理解できる、高性能な日本語対応のエンベディングモデル(例:最新のBERT系モデルやOpenAIのEmbeddingモデル)を選定します。
- プロンプト設計(ペルソナ付与): LLMに「あなたは経験豊富な特許専門家(弁理士)であり、提示された自社技術と先行特許の請求項を比較し、その類似度を0.00から1.00のスコアで評価しなさい」というペルソナと指示を与えます。
このプロンプト設計が、スコアリングの精度を決定づける最重要ポイントとなります。単に「似ているか」だけでなく、「特許法上の権利範囲として重複する可能性がどの程度か」という観点を含めることで、実務に耐えうるスコアが得られます。
スコアリングの指示には、単なる「意味の類似度」ではなく、「構成要件の充足度」や「均等論の適用可能性」など、特許特有の法的判断基準を考慮するよう、具体的な指示を含める必要があります。
5. 法的・構造的側面を考慮したスコアリングの精度向上戦略
LLMによる特許クレームの評価を実用レベルに高めるには、単なる意味の類似性(セマンティック分析)だけでは不十分です。特許クレームは法律文書としての側面が強いため、その構造的・法的側面を評価に組み込む必要があります。近年、LLMが生成した特許クレームの品質を多次元的に評価する「PatentScore」のようなフレームワークが研究されており、その重要性が高まっています。
PatentScoreは、従来のNLG評価指標(BLEUやROUGEなど)が捉えられない、特許特有の要件を評価します。具体的には、クレームの階層的な構成要素の遵守性(構造的分析)、特許法規に基づく検証パターン(法的分析)、そして意味的類似性(セマンティック分析)を統合してスコアリングします。この多次元評価は、専門家評点と高い相関(Pearson相関 $r=0.819$)を示すことが報告されており、AIによる評価の信頼性を裏付けています。
Difyのようなプラットフォームで精度をさらに高めるには、LLMが抽出した類似度に基づき、さらに別のLLM(Reranker)を用いて検索結果の並び替えを実施する「リランキング」の導入や、少量の専門家レビュー済みデータを用いたモデルのファインチューニングが有効です。これにより、単なる検索結果ではなく、実務的な価値の高いスコアを提供できるようになります。
- 構造的分析: クレームの階層構造や句読点のパターン、構成要素の記述順序の遵守性を評価。
- 法的分析: 特許法規やガイドラインに照らした要素参照の明確性や法的有効性を評価。
- 意味的分析: クレームと自社技術の間の文脈的・意味的な類似性を評価。
まとめ
特許調査における請求項の評価負荷は、知財戦略を停滞させる大きな要因でしたが、大規模言語モデル(LLM)とベクトル検索技術(RAG)の組み合わせにより、その状況は劇的に変化しています。自社技術と先行特許の請求項をベクトル化し、意味的な類似度を高速でスコアリングすることで、知財担当者は、従来の目視スクリーニング作業から解放され、年間で約80%もの調査時間を削減できる可能性があります。
Difyのようなプラットフォームを活用したシステム構築では、単なる技術的な類似度だけでなく、「特許専門家」のペルソナを与えたプロンプト設計や、「PatentScore」に代表される法的・構造的側面を考慮した多次元評価ロジックを導入することが成功の鍵となります。AIによるクレーム類似性スコアリングは、知財業務をコストセンターから、迅速な意思決定を支える戦略的なインテリジェンス部門へと変革させる強力なツールとなるでしょう。
株式会社ヘルツレーベン代表 木下 渉
株式会社ヘルツレーベン 代表取締役/医療・製薬・医療機器領域に特化したDXコンサルタント/
横浜市立大学大学院 ヘルスデータサイエンス研究科 修了。
製薬・医療機器企業向けのデータ利活用支援、提案代行、営業戦略支援を中心に、医療従事者向けのデジタルスキル教育にも取り組む。AI・データ活用の専門家として、企業研修、プロジェクトPMO、生成AI導入支援など幅広く活動中。

