医療データ標準化とAIが拓くPHRの未来
医療データ標準化とAIが拓くPHRの未来:分断された情報を繋ぐ最前線
「前の病院での検査結果、またここで受けなきゃいけないの?」「自分の健康診断データ、スマホでまとめて見られたら便利なのに…」このように感じた経験はありませんか?日本では、患者の医療情報が病院やクリニックごとに分断されて管理されているため、転院や複数の医療機関を受診する際に、情報がスムーズに共有されないという長年の課題がありました。
この記事は、そんな「バラバラな医療データ」問題に悩むすべての方に向けて書かれています。AI(人工知能)技術を活用して、この課題を解決し、私たち一人ひとりの健康管理を劇的に向上させる「データ標準化」と「PHR(パーソナル・ヘルス・レコード)」の未来像について、分かりやすく解説していきます。この記事を読めば、以下のことがわかります。
- なぜ医療データは今までバラバラだったのか
- AIがどのようにしてデータを繋ぐのか(データ標準化の仕組み)
- データが繋がることで、私たちの医療体験はどう変わるのか(メリット)
- 実現に向けた課題や、私たちが知っておくべき注意点
- 2025年以降に期待される医療の未来
「AIによる医療データ標準化」が注目される背景
AIによるデータ標準化とは、簡単に言えば「AI技術を用いて、異なる形式で保存されている医療データを、共通の形式(ものさし)に揃えること」です。これにより、どの医療機関のシステムでもデータを正確に読み取り、活用できるようになります。
基本的な仕組みとコンセプト
従来、電子カルテの仕様はメーカーごとに異なり、医療機関同士での情報連携が困難でした。これが、データが分断される大きな原因です。 そこで注目されているのが「HL7 FHIR(Fast Healthcare Interoperability Resources)」などの国際的な標準規格です。HL7 FHIRは、Web環境(オンライン環境)を前提とした医療情報交換の次世代標準フレームワークであり、APIで接続する仕組みが検討されています。 AIは、この標準規格へのデータ変換や、大量の非定型データの解析・構造化を効率化・自動化する役割を担い、標準化の実現を加速させます。
国の強力な後押し
国もこの動きを後押ししており、「次世代医療基盤法」という法律のもと、健診結果やカルテ等の個々の医療情報を「匿名加工医療情報」や「仮名加工医療情報」に加工し、医療分野の研究開発での活用を促進しています。 2024年4月1日には、仮名加工医療情報の利用に供する仕組みの創設等の改正法が施行されました。 この法律に基づき、国が認定した事業者が厳格なセキュリティのもとでデータを集約・加工することで、集約された質の高いデータをAIが学習し、さらに賢くなるという好循環が生まれることが期待されています。
なぜ今、必要なのか?
急速な高齢化が進む日本では、一人の患者が複数の疾患を持ち、多くの医療機関にかかるケースが増加しています。地域全体で患者を支える「地域包括ケアシステム」を実現するためにも、医療機関のスムーズな情報連携は不可欠です。 データが標準化・連携されることで、重複した検査や投薬を防ぎ、医療費の適正化にも繋がります。 さらに、大規模な医療データをAIが解析することで、新たな治療法や創薬の開発が加速することも期待されています。
AIによるデータ連携がもたらす3つの大きなメリット
医療データがAIによって繋がり、標準化されると、私たちの医療体験や社会全体にどのような良い変化が生まれるのでしょうか。患者、医療機関、そして社会全体の3つの視点から具体的なメリットを見ていきましょう。
良かった点1: 患者は「自分に最適な医療」を受けやすくなる
データが連携されることで、患者はより質の高い医療サービスを受けられるようになります。例えば、転院や救急搬送の際に、過去の病歴やアレルギー情報、服用中の薬といった情報が瞬時に共有されるため、より迅速で的確な診断・治療が可能になります。 また、重複検査や重複投薬の回避は、患者の身体的・経済的な負担を大幅に軽減します。将来的には、個人のゲノム情報や生活習慣データを組み合わせた「個別化医療」が実現し、一人ひとりに最適化された予防や治療が受けられるようになると期待されています。
良かった点2: 医療現場の負担が減り、業務が効率化される
医療従事者にとってもメリットは大きいです。これまで手作業で行っていたデータ入力や転記作業、文書作成がAIによって自動化・補助され、業務負担が大幅に軽減されます。 これにより、医師や看護師は、より専門性の高い診療や患者との対話といった本来の業務により多くの時間を割けるようになります。また、AIによる画像診断支援システムは、医師が見落としやすい微細な異常も検出でき、診断精度の向上に貢献します。
良かった点3: 新薬開発や研究が加速し、社会全体の健康が増進する
標準化され、集約された大規模な医療ビッグデータは、製薬会社や大学などの研究機関にとって非常に価値のある資源となります。 AIがこれらのデータを解析することで、これまで発見が困難だった病気のリスク因子を見つけたり、新薬の開発期間を大幅に短縮したりすることが可能になります。 さらに、感染症の流行予測や、効果的な公衆衛生政策の立案にも繋がり、社会全体の健康水準向上に貢献します。
実現に向けた課題と注意点
注意点1: 個人情報とプライバシー保護の徹底
医療データは、最も機微な個人情報の一つであり、データ連携を進める上では、サイバー攻撃による情報漏洩や不正利用を防ぐための万全なセキュリティ対策が不可欠です。 国は「次世代医療基盤法」において、国が認定した事業者に厳格な安全管理措置の実施を義務付け、本人の同意なく情報提供を拒否できる「オプトアウト」の仕組みも整備しています。 私たち自身も、自身のデータがどのように扱われるのかに関心を持ち、オプトアウトの権利について理解しておくことが重要です。
注意点2: システム導入コストと人的リソース
新しいシステムを導入するには、相応のコストがかかります。特に、資金力に乏しい中小規模のクリニックや病院にとって、AIシステム自体の費用に加え、サーバーやネットワークの整備、セキュリティ強化といった導入・維持費用は大きな負担となる可能性があります。 実際、医療AIを導入していない医療機関の多くは、「費用対効果がわからない」「費用対効果が良くない」ことを理由に挙げています。 また、AIや新しいシステムを使いこなすための、医療従事者への教育やトレーニングも、普及に向けての重要な課題です。
従来の手法との比較:何がどう変わるのか?
AIによるデータ標準化は、単なる業務効率化に留まらず、医療の質そのものを大きく変革するポテンシャルを秘めています。従来の手法と比較して、何がどう変わるのかを整理します。これは、厚生労働省が示す電子カルテ情報等の標準化が実現した場合の期待効果に基づいています。
| 比較項目 | 従来の状態(データの分断) | AIによる変革(標準化・連携後) |
|---|---|---|
| データ共有体制 | 医療機関ごとに情報が独立。紹介状やCD-ROMによる手動でのやり取りが主。 | ネットワークを介したリアルタイム共有が実現(HL7 FHIRとAPI)。 |
| 患者のメリット | 転院の都度、同じ説明・検査が必要。重複投薬のリスクも存在。 | 重複検査や重複投薬が減少し、身体的・金銭的な負担が大幅に軽減。 |
| 医療の質の向上 | 医師の経験や勘に依存する部分が多い。過去データ活用も限定的。 | 膨大なデータを基にしたAIの診断支援により、より客観的で精度の高い医療提供が可能に。 |
| PHR(個人健康記録)の活用 | 限定的なデータのみで、医療情報との連携は困難。 | 医療機関の検査結果や処方歴と連携し、包括的な健康管理が可能に。 |
| 研究開発の加速 | データ収集に多大な手間がかかり、研究が進展しにくい。 | 大規模な医療ビッグデータを活用することで、創薬や新たな治療法開発が加速。 |
この変革は、どんな人にとって重要か?
AIによる医療データの連携は、医療機関の業務効率化や研究開発の加速(次世代医療基盤法に基づく利用)に貢献するだけでなく、私たちの社会を構成するほぼすべての人に関わってきます。 特に以下の人々にとって、この変革は大きな恩恵をもたらすでしょう。
- 持病があり、複数の医療機関に通院している方: 自身の治療情報を正確に共有することで、より安全で質の高い医療を転院・救急時でも受けられます。
- 自身の健康に高い関心を持ち、主体的に管理したい方: PHRサービスを活用し、生涯にわたる医療データを一元管理することで、効果的な予防や健康増進に繋げられます。
- 最先端の医療や研究開発に関わる方(医療従事者、研究者、製薬企業など): 質の高いビッグデータを活用することで、診断精度の向上や画期的な研究成果が期待できます。
一方で、個人情報の提供に強い懸念を持つ方は、現時点では法整備やセキュリティ技術が発展途上な面もあるため、自身の情報がどのように保護され、利用されるのかを十分に理解し、国が定めるオプトアウトなどの仕組みを利用することも可能です。
まとめ
この記事では、AI技術を活用してバラバラな医療データを繋ぎ、標準化することの重要性と、それがもたらすPHRの未来について解説しました。
- 医療データは病院ごとに分断されており、情報共有が課題だった。
- AIは、異なる形式のデータを「HL7 FHIR」などの国際標準規格に揃えることで、データ連携を可能にする。
- データ連携により、患者はより質の高い医療を受けられ、医療現場の負担は軽減され、社会全体では研究開発が加速する。
- 実現には、個人情報保護の徹底(次世代医療基盤法による仕組み)や、中小病院における導入コストといった課題も存在する。
この変革は、私たち一人ひとりが自身の健康データを管理・活用する「PHR」の本格的な普及に繋がり、2025年以降の医療を大きく変える可能性を秘めています。AIとデータ標準化は、もはや遠い未来の話ではありません。マイナンバーカードの健康保険証利用などを通じて、その基盤は着実に整備されつつあります。私たち一人ひとりがこの変化に関心を持つことが、より良い医療の未来を創る第一歩となるでしょう。
株式会社ヘルツレーベン代表 木下 渉
株式会社ヘルツレーベン 代表取締役/医療・製薬・医療機器領域に特化したDXコンサルタント/
横浜市立大学大学院 ヘルスデータサイエンス研究科 修了。
製薬・医療機器企業向けのデータ利活用支援、提案代行、営業戦略支援を中心に、医療従事者向けのデジタルスキル教育にも取り組む。AI・データ活用の専門家として、企業研修、プロジェクトPMO、生成AI導入支援など幅広く活動中。

